小学1年生から始まる夏休みっていえば、夏休みの宿題。
休みが1ヶ月もあるわけなので、それなりに、宿題の量もあるわけだから、子供が夏休みの宿題をやりたくないのもよくわかります。
僕自身は夏休みの宿題を最後まで溜めて、31日に永遠と宿題をする生活を何年も続けておりました。
だから、夏休みの宿題は早い時期から「夏休みの宿題をしなさい!」って言いたいんですけど、言われもしたくないもんはしたくないですからね~。
なので、子供の夏休みの宿題に親が口出しをする必要はないって思ってます。
子供に夏休みの宿題を基本的に全部やらせる理由を書いていきます。
夏休みの宿題は基本的には親が口出しをするつもりはない。
夏休みの宿題は子どもの課題であって、親の課題ではない。
子供が宿題をやらないからといって親がその課題のほとんどをやってしまうと、夏休みの宿題って意味なしですよね。
だから、基本的には親が宿題の口出しをする必要はないって思ってます。
それでも、親として子供の宿題に口出しをするとき
ただ、僕の子供はまだ小1で、初めて夏休みの宿題を経験するわけなので、時々「夏休みの宿題してる?見せてみて」って声かけします。
その時に宿題をしていなくても、「なんでやってないねん!」って怒ることはしません。
宿題をしなかったとき、どのようになるか、予想できる結果だけを教えます。「先生との約束が守れなかったので、たぶん怒られるよって」
それでもやらないなら、学校に行ってから怒られたらそれでいいと思うし、夏休みの宿題をやらなかった結果どうなるかを経験できればそれでいいかなって思ってます。
宿題は子供が自分で気づいてやるものなので、その手助けだけします。
子供の課題を親がやるなんて馬鹿らしい。なんの意味もない。
子供が先生に怒られたら可愛そうだからって親が変わりに宿題をやっていたら、子供は怒られなくていいかもしれないけど、
- 子供は宿題ができなかったら親が手伝ってくれるって思う
- 宿題をしなかった結果を経験できない
ってなってあまりいい結果にはならないように思います。
子供の宿題を親が代行するのは、「子供が先生に怒られないように」って思いつつ、「私の子供にはちゃんと勉強させてます!うちはちゃんとしてるんですよ!」っていうことを先生にアピールしてるだけのように思います。
子供の宿題が親の宿題になっちゃってるんですよね。
コレだと本末転倒。大人になったら夏休みの宿題はなくても、期限が決められた課題にはぶち当たります。
夏休みの宿題で、1学期の理解を高めることも大事なのかもしれませんが、決められた期限に決められた物を提出するっていう感覚は大事だと思います。
その感覚を子供が少しでも感じてくれると嬉しいですね。
夏休みの宿題は口出しをするのではなくて手伝う
夏休みの宿題は子供の課題なので、基本は子供がやる。でも、わからないところも出てくるだろう、どうやったらいいのかわからないところも。
自由研究系の宿題は何をやったらいいかわからないってこともあるでしょう。
そういうのは積極的に手伝います。
「わからない」って聞いてきたことは、親も一生懸命教えます。
宿題は子供の課題だけど、さすがに完全に放置するわけにはいきません。わからないものはどれだけ考えてもわからんから。
わからん→やるの嫌→やれって言われる→わからん→やるの嫌
って、わからんのに宿題やれって行ってたら、勉強ヤルの嫌をどんどん強化していくだけで、勉強嫌いを作り上げる夏休みの宿題になっちゃいますよね。
だから、わからんところはないか親からも聞くし、わからんところは親も一緒に考える。できたところは褒める。
自由研究だっら、どんなことをしたらいいのか、どんなことが好きなのか子供と一緒に話します。
その中から親がコレをやってみたらっていう道を作ってあげる必要はあるでしょう。
あくまで親が子供が宿題を完成するためにサポートするだけ。それ以上のことはする必要ないですよね。
夏休みの宿題は親が口出しをして、ちゃんとやらせたい!って親の欲望がでちゃいますけど、そこはガマン。
子供が夏休みの宿題を自らしようと思ってできるようにサポートできたらいいですよね。
わからないところは一緒に考えつつ、子供が自分の課題をちゃんとやることができたって思えたら、夏休みの宿題は成功だと思います。
けんいち